壮大なタイトルだけど、最近の病状記録と目下の課題について垂れ流していくスタイルである。
苦手な方はブラウザバッグ。
子どもが欲しい
二人目をそろそろ…なんて話が出てきた。
私ももう33歳になる。体力は日々低下して、具合の良い日は少ない。
だからこそ、少しでも若いうちにと考えているわけだ。
最近は娘に「妹と弟、どっちがいいの?」なんて聞いて反応を楽しんでる。
娘も幼稚園をどこにするか、なんて話になって年の差を考えれば自然な流れではあるが、妊娠するにしても私は薬を服用中である。
主治医は患者の意見を超えた処方はしない。だからそろそろ二人目を、と言ったら減薬の流れになった。
そもそも二人目を、なんてことを考えるぐらい余裕がでてきたと言えなくもないし、実際服薬を始めて一年が経過しているから日中体調悪いなりに娘と向き合って過ごす時間を増えた。
一人目の時と鬱。
全く薬を服薬しなくなってから半年ほど経過後の妊娠が理想的らしい。
前回の鬱はセルトラリンを25ミリにまで減らした段階で妊娠発覚していたし、実際のところ妊娠後期には服薬を止めるような薬だったのでタイミング的にはギリセーフ、と言えよう。
まだ分からんけど、娘は発育よく、知能面でもそこそこ早い発達だと思う。
親譲のADHD気質は否めないけど、薬によって何か阻害されてる可能性は極めて低そうだ。
実際妊娠して3ヶ月ぐらいにはつわりがひどくて伏せっていたから鬱の延長なのかつわりのせいなのか分からなかった。
ずーーっと船酔い。天井を眺めるだけ。
重度の人と比べたら申し訳ないレベルなんだろうけど、出産の痛みは忘れるし一瞬だからどちらかといえば陣痛や会陰切開よりもつわりをもう一度経験することを考える方が尻込みする。
ましてや娘がいるから伏せっているわけにもいかぬ。
私の母は私を含めて3人産んだが「つわりなんか全然なかったからわかんないわ〜」ってさ。想像して共感ぐらいしてくれても良いのに笑
遺伝性のものじゃないのかしら。
おそらくお腹の中の娘に「お前は動くと危険だし余計なこと考えそうだからまだ寝てろ。」ってつわりのレバーをぐいっと押されてたんだろうな。
今現在、ピルも服薬をやめ、セルトラリンも減薬。
春の気圧にやられ、ホルモンバランスも乱れそこそこ不調ではあるがなんとか生きている。
女性と仕事
女性にとって子どもを授かることが何を意味するか。捉えようにはよるけど、仕事に関しては少なくとも数ヶ月はストップする。育休取る期間にもよる。だけど辞め時、休み時を考えない人はいないだろう。
そのほかにもご主人との経済的な兼ね合いあるだろう。1馬力で足りるの?保育園はどうするの?将来の教育費は?老後は?
心配は尽きない。
私は鬱で電車に乗れず、眠れず、仕事どころじゃなかったし、夫は仕事忙しいからできれば専業でいて欲しいという人だったのでそのまま専業主婦になった。だけど夫が帰ってくるのを今か今かと待ち、夫を迎えに娘と駅まで行き、帰りがてら夫が仕事の話をするのが羨ましくて仕方なかった。
私の偏見が私を苦しめる
私の母は専業主婦。昔ならでは?の考えで「子どもが小さいうちは母親がそばにいないと」というタイプ。父親は役職に就き、英語も数学もできて賢いからかっこいい。
私が高校の時に母はようやくパートに行ったけど、ぶっちゃけその方がイキイキしていた気がする。
なんとなく専業主婦は肩身の狭い存在であるような刷り込みがあった。
そしてある日母が「あんたの召使いじゃない!」とブチギレられてハッとした。
無意識下にあった蔑視が母を苦しめたんだろう。母とはぶつかりまくって色々こじらせてたけど、この点に関しては本当に申し訳ない。
私は家事も節約も苦手で今になって母を敬う気持ちがでてきた。3人も育てるなんて考えられない。
でもその反面、この程度に終わる私ではない、何者かになりたいのにできない、という妄信に近い何かによって娘と向き合えなかった。必死だったのだ。
母にも社会的にも敗北した気持ちになったのだ。
コロナ禍で孤独と戦ったらこんな悲しいモンスターになってしもうた。
仕事の方が楽…?
よく言うよね。夫も仕事は辛いけど、育児よりマシ。覚悟して家に帰るような旨を吐露したことも。
でも本当にそうなのかな?
私は社会不適合者だ。コミュニケーション不全だと思う。受け入れてもらえるという懐の広めな職場ならある程度発揮できるかもしれないけど、基本的にはずっと萎縮してしまう。
それを感じさせないように懸命に虚栄を張って、反感を買うという(苦笑)
なんならできるの?教員にもどる?
子どもはどうするの?考え始めると鬱が悪化しそう。
webデザイナーの勉強もかじったけど、続かず。
やりたいんだけど、パソコンの動作は重いし、肩こり酷くて倦厭し始めたら遠のいてしまった。この迷走感がさらに私を焦らせる。
仕事ってどうやって探すん?ワタシの天職はナニ???なんて考えてる時点でオワッテルよね。
復帰できたとて仕事と家庭とバランスなんてとれるの?なんて他の懸念も。
あ、分かります?鬱患者っておそらく大抵こんな感じの不安のループを続けてるんです。つら。
二人目いるの?
こんな不安がってて、一人目には鬱再発してるし、仕事をするにしても再開は遅くなる。
え、いるの?そもそも。一人でもアップアップなのに?
でも夫も娘も義実家も実家も赤ちゃん欲しがってる。じゃあ私の意思は?
私は兄弟仲が超絶悪い。特に2番目の兄には連絡を直接取ることすら拒否。とりあえず儀礼的な「〜祝い」ぐらいは続けてる。
娘にとって唯一の従姉妹には会わせられそうにない。これも私の幼い時からの積み重ねの結果だと思うと心苦しい。
「やらかし」た結果だと思う。
周りを見る能力、察する能力が極端に欠けてる私にとって我が家の多すぎる「暗黙の了解」が意味不明過ぎたのだよ。
それに兄が嫌がる地雷を踏み抜いてきたんだと思う。覚えてないけど。
というかむしろそれを認識できてないことすら地雷というか(苦笑)
兄も兄だが、私のこの無神経さが人を傷つけてるのは間違いない。
と、まぁこんな感じで家族機能も不全だったので義実家のような仲良し家族を作れるのか甚だ疑問なのだ。
あ、だったら夫が家にいれば良いんじゃね?夫がいれば不全さの連鎖は断ち切れるのでは?
…またまた短絡的である。
上記の通り私もそこそこギリギリアウトな年齢で未経験の領域でキャリアを形成するとなると難しいこともあり。「なんで私が家庭に入るのが当たり前なの?!」とモヤって(マヤって?)しまい、
「育業三年とれないかな?その間私が仕事に出れるようにしてみたいんだけど」
なんてことを言うと、優しいかな。夫よ。
最初は「復帰が辛いよ」と言っていたのに
「もう少し育業の制度を調べさせて。」と。
優しすぎるよな。ほんと。
同じだけ調べて、同じ土俵で話し合って双方納得できるように配慮してくれんの。
私がこんなに早く鬱から頭を持ち上げて陽の光を浴びようと思えるようになったのは、家でじっくり療養させてもらえたからだってのにね。
ここでもデリカシーなくてワガママで自分が恥ずかしくなった。
恥の多い人生である。