舞台は長野の山奥。女一人で経営しているペンションは一人だけの宿泊客のために開いている。
この紹介文を見たとき、魅力を感じた。
多分最近観たもの全てにおいて、登場人物が多すぎたからだと思う。
静かでゆったりしたものが観たいと望んでいたからだろう。
1話の別所浩司のお話は、現実離れしていてちょっと思ってたんと違う!となっても視聴をやめないでほしい。
(私はあれはあれで童話的で嫌いじゃない。)
小洒落たペンションで、エプロンが似合いすぎる女主人のテンコ(小林聡美)が飛び入りや馴染みの客一人と食事と酒を交わすんだが、一度はこういう生活憧れるよね。
そして毎話のようにエンディングでワンシーンやその後の様子が写真で出てくるんだけど、それも私たち視聴者の目線で思い出をなぞるようでとても良い演出。
私のお気に入りの回は「燃す」
写真家と過去の作品を焚き火で燃やすシーン。
変わらないこと、続けることが美しいのに、刹那的で色々な場所を渡り歩く自分。自分の在り方が迷子になった客がテンコに相談をするシーン。
写真は残すためなのに燃やす。人生はところどころ選択して生きてきてんだよな。向いてないことをやることも面白い、というテンコの言葉も気になった。
常に樹海の中で、コンパスがぐるぐると定まらない感覚に陥るなんちゅにはグッとくるものだった。
ペンションは通過点で、女主人のテンコさんはそのペンションに留まるだけ。なのに、宿泊客は滞在中に何かを得て山を下る。対照的に描かれていて面白かった。
あとは、長野の山々の素晴らしさ。あそこには必ず神々が居ると思う。それこそキツネも化けて出てくるような神秘さがらある。
舞台は八ヶ岳のようだが、なんちゅの実家からは遥か遠くである。でも、どこにいても高い建物のない田舎道のどこからでも八ヶ岳は見える。
最終話には驚いた。
テンコさん、あっさりと馴染みの客にペンションを譲って終わりを迎える。
先程の話のように変わらず客を迎えたのはテンコではなくペンションメッツァの方だったんだ。
そして、ここでエンディング曲である大貫妙子の「空飛び猫」の意味合いが変化する。なんちゅはこの歌が大好きだ。
空を飛ぶ〜ねこ〜
追いかけた〜まま〜
最初はふらっと野良猫のようにペンションメッツァで心の暖をとる宿泊客のことを表してるのだと思った。しかし、テンコのことも表してるのだ。いや違う。
空を飛ぶ猫は客人のことで、「追いかけたまま戻らなかったあの人」がテンコということか!
ペンションメッツァというハコ自体は通過点で、テンコも空飛び猫のように気ままに行く存在だったのだ。
【総評】☆☆☆★★
ゆるいドラマなので劇的な展開はない。この作品のコンセプトから外れるからだ。
せかせかした気持ちのときは少し間伸びして感じるかもしれない。メッセージ性は分かりやすく明快。その反面ちょっぴり単調に感じるかも。
キャンプをしに山々に入った時のような伸びやかさがウリ。
役者の間の取り方がリアル。全ての話を通しての演出が心地よい。
空飛び猫は作品を観終えてから是非聴いてほしい。